忘れられない気高い魂 - エッセイ

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エッセイ 「忘れられない気高い魂―パルデン・ギャツオ」

パオロ・ポッビアティ(アムネスティインターナショナル 元イタリア支部長)

ある日突然、その後忘れることができなくなる力強い印象を残す人物に出会うことがある。そして私にとってパルデン・ギャツオは、まさにそんな人物の一人だ。

1995年3月、彼が初めて欧州を訪れる際、私は彼のイタリア滞在10日間の日程すべてに同行することになった。その時私たちの手元には、オランダ人のボランティアのメンバーによってまとめられた「悲劇の生き証人」だという彼に関する略歴の書類一式があっただけで、それもきわめて限られた情報だったので、 私は彼のことも彼が生きてきた人生についても、ほとんど知らなかったと言っていいだろう。だから到着して早々、彼がミラノの新聞社によるインタビューで 語った内容の凄惨さ、さらには、常に持ち歩いている小さな包みから取り出して見せた、長い年月、獄中で拷問を受け続けた時に使われたものと同型の拷問道具の忌まわしさに、表現しようのない大きなショックを受けたのだ。そのインタビューの途中、居合わせたプレスのメンバーとふと視線を交わすと、二人とも今に も涙がこぼれそうに目が潤んでいて、一体どこに視線を移せばいいのか、互いに困惑してしまった。ジャーナリストは話を聞きながら、あまりに恐ろしい彼の体験談にすっかり血の気を失しない、インタビューの要点をチェックすることさえ忘れている。当のパルデンはというと、33年間にも渡る身の毛もよだつ虐待 を、おだやかに、落ち着いた様子で語っていた。
その後の10日間、いくつもの講演、そしてインタビューに私は同行したわけだが、彼の証言とともに小さな包みから取り出される拷問道具の数々を見るたび に、当初のショックがよみがえるのを私は禁じ得なかった。また、彼の話を聴きにやってきた何百人もの人々の瞳がみるみるうちに潤んでいくのを、毎回目撃することとなったのだ。

我々アムネスティ・インターナショナルが、彼のケースに従事し始めたのは比較的遅い時期である。1959年―アムネスティ・インターナショナルが設立されたのはその2年後だが―に中国側に不当に逮捕されたにも関わらず、名前も経歴もまったく分からないままに投獄され続けている多くのチベット人政治犯の一人として、彼の擁護を始めたのは1985年のこと。彼のケースはイタリアセクションに任され、1992年8月、解放のニュースが届き彼がインドへ無事亡命するまで、我々は彼の解放を実現させるために何万もの署名を集め、何百もの手紙を送り続けた。その当時、私はアムネスティ・インターナ ショナルのイタリアセクションで、東アジア地域の人権擁護活動のコーディネートをしていたが、解放されたパルデンは、その後瞬く間に、特定の宗教あるいは思想を持つというだけで不当な暴力にさらされ惨い制裁を受けている多くの人々の、シンボル的存在となっていった。

実際、パルデンだけが獄中で特別にひどい拷問を受けたわけではないのだ。彼が語る悲劇の体験は、同じ境遇にいるチベットの獄中の、そして中国の獄中の数多くの政治犯たちが、昔も今現在も継続して体験し続けている事実でもある。彼の受けた残虐な拷問は、今この時も容赦なく続いていることを 我々は忘れるわけにはいかない。

公私に渡り、私は彼の数多くのイタリア訪問に同行する機会に恵まれた。彼は何処に赴いても、自身の存在がイタリアの人々を魅了し、深い共感を持って受け 入れられることを目の当たりにすることになる。彼は悲劇的な体験を人々に語るだけの単なる「語り部」ではなかった。痩せたちいさな身体、拷問ですっかり歯を失ってしまった口元、輝く瞳、痛めつけられ、ひどい傷跡を残した肉体と心に宿る品格と気高い魂で、出会った人に深い感動を残さずにはいられない人物だっ た。
33年もの獄中生活の間には、憎しみや憤慨の気持ちが生まれる瞬間もあったのではないかと、獄中にいた当時、看守にどのような気持ちを抱いていたのかを直接質問してみたこともある。彼は「看守に対して一度も復讐心を抱いたことはない。彼らは単に規則に従っているだけで、彼ら自身も苦悩に喘いでいるのだから。それに中国人の一般市民を恨んだことはない」と答え、さらに「でも、中国政府には、他のどの国にも見られないこのひどい状況を恥ずかしく思わないのか、と尋ねてみたかった」と付けくわえた。

私とパルデンは最近の数年間も幾度となく会う機会があったが、2006年、彼とその他2人のチベット人青年によって決行された、冬季オリンピック開催中 のトリノでの13日間のハンガーストライキは大変印象的な出来事である。彼らがハンガーストライキを決行していたオリンピック会場から遥か遠く離れた郊外 に設えられたテントは、期間中チベット人たちだけではなく、アムネスティや他のサポートアソシエーションの活動家、またジャーナリストやチベット問題に共感するたくさんの人々、いわば巡礼者たちが訪れるセンターにもなっていた。ついには心を動かされた国際オリンピック委員会のメンバーまでも訪れたが、このとき両者で交わされた約束は結局果たされることはなかったということも、言っておかなければならないだろう。

さて、彼の思い出で最も私の心に残っていること。それは今から約10年前のダラムサラでの出来事だ。その時の訪問が、彼と出会って以来、最も素敵で美しい彼の姿を私の脳裏に焼きつけることになった。私に会ったその瞬間、パルデンはにっこり笑いながら、口のなかに整然と並んだ、輝く真っ白い歯を見せたのだ。 それは、電熱の通った棒を口の中に突っ込まれるという、度重なる残酷な拷問のせいで、すっかり歯を失っていた彼の新しい「入れ歯」だった。その真っ白い歯を口元に覗かせる彼の笑顔が、33年間もの長い過酷な獄中生活で失われた彼の人生の蘇生の証のように、また、長い闘いのあとの彼の人間性の勝利のように私には感じられ、得もいえない感動にとらわれたのである。

彼がおだやかな老後を過ごすための権利が今後も充分に守られることを、私は常に願っている。そして、チベットの人々が巻き込まれた全く不当な悲劇を、さら に多くの人々に伝えるために自分の人生を捧げるという彼の決意と、今もなお、獄中で自由とチベットの独立を願いながら、恐ろしい拷問に耐えている人々のこ とをいつも忘れずにいる。パルデン・ギャツオは、現在もなお獄中にいる彼らのために語り続けているのだ。

訳)ミキ・ハリシュマ

── パオロ・ポッビアティ アムネスティインターナショナル イタリア支部長